拝啓、坂本龍馬様。おんしは今、どこでどうしてござるんじゃろうか。陸奥守吉行は本丸の庭をぼおっと眺め、物思いに耽っていた。
あれから四百年ほどの時が過ぎて、今自分は審神者と呼ばれる人間、それも女性を主と呼んでいる。彼女の最初の刀として、人の形を与えられて呼び出され、今までもこれからも、本丸の要として自分は生きるのだろう。
最初はいかんせん頼りなかった主も、一癖も二癖もある男所帯のなかで成長し、今では立派な大黒柱だ。女兄弟と言えば記憶に残る坂本家の姉が浮かんでくる陸奥守だが、妹とはこのようなものなのだろうかと彼女を見ていると思えてくる。
「陸奥守さん、ちょっと見てみてよ」
そしてその、目に入れても痛くない大事な主君は、とうとう明後日式を挙げる。開け放たれたふすまの奥では、真っ白なドレスを着た彼女が、恥ずかしそうに手を振っていた。
「お、こりゃべっぴんさんじゃあ。しっかし、わしが最初でえいがか?」
「ふふーん、新郎には当日のお楽しみでーす」
どうだと胸を張る乱の頭をぐりぐりと撫でて、落ち着かなそうな様子の審神者を見やる。着慣れないドレスは、乱たちとああでもないこうでもないと大騒ぎして選んでレンタルしたものだ。不格好ではないかと不安そうに、彼女はそっと襟元を隠している。
「ここまで開いてたんだ、これ……」
レースたっぷりの華やかなドレスを着せたい二人と、似合う似合わない問題以前に気後れすると反対する審神者。しかも、今ごろ宗三あたりに強烈なダメ出しを食らっているだろう新郎も、ファッションには疎い上に彼女が着れば何でも可愛いという男で頼りにならないときている。
結局、主の希望に沿えばそれでいいだろうという古株の真っ白な太刀による、文字通り鶴の一声に彼らが折れたのだが……最終的に決定したドレスにも、しっかりちゃっかりこっそりと乱たちのこだわりが反映されていた。
「もう、あるじさんも往生際が悪いなぁ。変に隠すよりも、デコルテはしっかり出したほうが絶対に可愛いってば……うーん、でもこの辺にちょっとレースとかリボンでも……」
「……ええー」
「ははは、ま、ねー。デコりがいありそうなんだよなー、やっぱり」
装飾品を入れた箱を漁りながら、加州が笑っている。二人としては、もう少し分かりやすく豪華な見た目にしたかったようだが、我らが主の好みもとっくに承知している。膨らんだ乱の頬を両側から挟むと、ぶしゅうと空気が抜けると同時に軽く素早い蹴りが飛んできた。
「なんじゃあ、えいじゃろ、その提灯袖とか」
「パ・フ・ス・リ・イ・ブ」
援護しようとした自分の一言は、無情な加州の声にたたき落とされる。
「で、アクセはどうする? 青いやつかな、やっぱり」
レースのように編まれたものから、シンプルなストーンのみのものまで、箱から選り出されたものは、そのどれもが空や海の色をしていた。首をかしげる自分に、乱がやっぱり知らないかと言って笑う。
「西洋の結婚式で、花嫁が身につける四つのものっていうのがあってね。古いもの、新しいもの、借りたもの、青いもの……それをそれぞれひとつずつ、そういうおまじないなんだって」
本来はもっと細かな縛り――『古いもの』は先祖から伝わったもの、『借りたもの』は、すでに結婚している相手から幸せのお裾分けを、というような――があり、ただその四つを準備すればいいというものではないらしいが。こちらの国ではほとんどまねごとのようなものだし、あちらの神だかなんだかも見逃してくれるだろう。
「歌仙さんが骨董屋さんで見つけた帯留めリメイクして、髪留めにしてくれるって。見せてもらったけど、ホントに可愛いの!」
「それで古いものはクリアね。靴は新調したし、乱のコレクションからブーケに使うリボン貸りて……」
リングピローは? じろちゃんが昨日できたってさ、平野がさっきちょっとリングベアラーの練習してるの見たよ。二人の会話をよそに、主は真剣にネックレスを持ち上げては箱に戻している。
「あ、これ……」
そうして主が手に取ったのは、青い花がいくつもあしらわれたネックレスだった。
「あー、可愛い! ドレスシンプルだし、このくらいしたほうが……」
受け取ったアクセサリーを両手で広げて主の胸元に掲げ、ためつすがめつ具合を確認していた乱の視線が、その五枚の花弁に止まって静止した。そういうことか、と彼が小さくこぼした声は、ほんの少しだけのため息を含んでいる。
そういうこととは、どういうことか。首をかしげる自分をよそに、主はただ優しく笑っていた。
「やっぱり分かっちゃうか……この花ね、わすれな草っていうの」
名の由来を、異国の物語に持つ花なのだという。川沿いに咲く花を手に入れようとした騎士が水に落ちて溺れ、死の淵から岸辺の恋人へと叫んだ言葉。それはそのまま、花言葉として今に伝えられている。
「あいつ、花のことなんて知らないと思うよ? ましてや花言葉なんて……」
仕方がないなと呟いて、加州が主の頭を撫でる。だろうね、と言った彼女の寂しそうな微笑みは、その裏に山のような感情を隠していた。
「でも、いいんだよ、それで」
面倒くささと不器用さは紙一重。新郎の昔馴染みである槍が呟いたその言葉は、先日の酒宴のざわめきにかき消されていた。あるときは恨み言として吐き出し、またあるときは消せない記憶に苦しめられ。そんな彼は遠い未来、この日々をどう思い出すのだろう。
近侍と初期刀として、ずっと一緒にすごした仲間だ。彼女を任せるには、これ以上にない相手だと思っている。
だが、それとこれとは話が別だ。よし、今日あたり一発殴ろう。何も言わずに殴ってからとことん晩酌に付き合わせよう。今日殴れば当日までに腫れも引くだろうし、最悪手入れでどうにかなるだろう。なんちゃあないなと呟いてうんうんとうなずく自分に、何かを察した加州がジト目を向けている。
「入ってもいいかな。陸奥守はいるかい?」
ここだと思ったと言って部屋へと入ってきたのは、細川の文系名刀の姿だった。
「やあ、きれいなものじゃないか」
髪飾りできた? ああ、後は少し補強をするだけだよ、あの銀色の櫛に留めてみたけれど、使い方は君のほうが詳しいだろう。乱とそんな話をしていた歌仙だが、ああ忘れるところだったと手を打った。
「そうだった、君のモーニングが届いたのでね。早く調整をさせろと、和泉守が手ぐすね引いて待ってるよ」
うげえという自分の声に、部屋には笑い声がはじけた。和泉守のことだ、かっこよく流行に沿ってなんて言って、しばらく監禁状態だろうに。
「そがあな大層なもん、わしが着ても……」
「なに言ってんの、オープニングの大役だよ? しかも花嫁直々のご指名で」
一番最初に新婦を連れて、新郎の元へと送り届ける。その役を頼みたいと主に言われ、通常そこにいる立場のことを教わったときは、不覚にも男泣きした陸奥守である。
「ほら、いっといでよ陸奧。あいつ待たせると、後がめんどいよ?」
「そーだよそーだよ。こっち別に人手いらないもん」
ぐいと背中を押され、廊下に出る。秋の紅に染まった庭では、手の空いた刀たちがこぞって会場のセッティングを始めていた。
籍を入れられるわけでもなく、とこしえを誓えるわけでもない。会場は本丸の庭だし、外部から客らしい客を迎えるわけでもなく、ほぼ全てを自分たちでまかなう。所詮はままごとだ、みんなそんなことは分かっている。
それでも人の心には、こういったイベントも必要なのだろう。区切りをつけて、次のステップへと進むことを誓うために。
「あー、えい天気じゃ」
この分だと、当日まで秋晴れが続くだろう。一息入れてお茶にしようと呼ぶ厨番たちの声にダッシュしようとした陸奥守の首根っこを、しびれを切らして迎えに来たらしい和泉守の腕が逃がすかとひっつかんだ。
初出:2017-10 Pixiv