近侍の修行を前にして主のメンタルがご臨終しそうです

「しかし、政府も毎回どうしてこう」
「うん、言いたいことは分かるよ」
 政府からの公式発表が出たのは、今からちょうど三時間前。安定たちとの会議が終わった審神者執務室には、部屋の主である私と、その近侍の長谷部だけが残っていた。
「もうさ、このシルエットで、誰だろーなんて無邪気に騒いでる審神者なんて、ねえ」
 いくらなんでも、分かりやすすぎる。正直予想だにしていなかったメンバーだったのだが、うちの場合さらに問題があった。
 安定も和泉守も、もちろん顕現が遅かった長曽祢も、まだ全員練度は七〇前後。おそらく、少し大阪城でマラソンでもすれば出発に必要な分はどうにかなりそうだけれど、今のうちに練度を上げておいたほうが後々のためだろう。
「では脇差と同じように、打刀も練度が九〇到達が目安ということで……」
「うん。なんだかんだでそれが手っ取り早いみたいだし……ただ、まずは目安として全員八〇くらいには上げてあげないとね」
 その後はもう、政府の発表とうちでの顕現順次第だ。
 しかも我が本丸では、極めた脇差もまだ鯰尾と堀川くんだけだし、短刀だって包丁くんと太鼓鐘の二人がまだ修行に出ていない。旅道具と旅装束集めは順調すぎるほど順調だが、手紙もゲットできるチャンスを逃さないようにしなくては。
「しっかし、意外な順で来たなぁ。てっきり陸奧が一番だと思ってたのに」
 これからは今以上に忙しくなるだろうけれど、全員休日返上、なんていう訳にもいかない。そもそも倫理的にあれだし、私だって少しは休みたい。
「今回のことを鑑みるに、何らかの括りで実装されるようですね。と、なると……」
 宗三か、それとも。そう呟いた長谷部は、そのままじっと湯飲みに視線を置いたまま動かない。
 そう、打刀の極が来たのだ。とうとう来ちゃったのだ。お茶菓子なんて食べていないのにつっかえたような喉に、私は黙ってお茶を流し込んだ。
「――主は、どう思いますか? その、俺が……」
「はーせーべ」
 そういうことは、もっと自然に聞かないと。
 そんな言葉を飲み込んで、私は隣の肩に頭を預けた。ぎこちなくこちらへと向く視線に笑い返して、緊張した様子の彼の指にそっと自分のそれを絡める。
「私がどう考えていても、それは私だけの想像に過ぎないよ。だから絶対に言ってあげない」
 たぶん彼は、恐れている。自分の変化に対する、私の評価を。だったら私のすべきことはなにか。
 繋いだ手を一度離して、改めて私は大切な近侍へと向き直った。
「私の考えとか望みとか、そういうことは長谷部は知らないでいいんだよ。それが頭の片隅に残っちゃったら、どうしたって気にしちゃうでしょ」
 もしも、私の望む極めた長谷部像なんてものがあったとして、長谷部にそれを押しつけてしまったり、修行から帰ってきた彼を一瞬でも否定してしまったら。
 万が一そうなったら、私はきっと自分を一生許せないし、許してはいけないんだと思う。膝の上に手を置いたまま、私はぎゅっと握りこぶしを作った。
「私はみんなの主だもの。みんなが一生懸命に考えて、それで出した結論だったらそれで……」
「主」
 呼びかける声は、ほんのひと匙のからかいを含んで暖かく響く。強く握りすぎて真っ白になった拳を、彼の大きな手のひらがそっと包んだ。
「……本当だよ」
「ええ、分かっています」
 それでも、やっぱり少し怖い。彼がいない間、私は何を思うのだろう、彼をどんな顔で迎えるんだろう。完全に予測の付かない未来なんてものにがんじがらめにされる様子は、自分でも馬鹿みたいだと分かっている。
「行くなと主命をいただければ、俺はそのようにいたしますが」
「言えないよ、そんなこと」
 知ってるくせにと恨みがましく見上げた顔は、少し勝ち誇ったように笑っていた。
 抱き寄せられ、押し付けた耳に少しだけ早い心音が聞こえる。ゆっくりと背中を叩く彼の手のひらは、そのままそっと私の顔をその胸に伏せさせた。
「……私、強くなりたい。長谷部がどこに行って、何を考えて、どんな結論を出したとしても。全部ひっくるめて、長谷部は長谷部だって、笑って受け止めたいよ」
 吐き出した息は、どうしたって震えてしまっていた。背中に手を回し、ぎゅっと彼の上着を握りしめる。手袋を外した長谷部の指は、私の髪をゆっくりと梳いていた。
「大丈夫です。そう言っていただけるだけで、俺は安心してここへ戻れます」
 例え己の身に、何が降りかかっても。頭上から聞こえる不安や迷いを振り払った優しい声は、ふわりと私の胸の中に着地して、じわじわと温かく溶けていく。
「俺があちらでどこへ行くのか、どれだけの時を過ごすのか、今はまったく分かりません。それでもその間、ずっとあなたを――ですから、主も」
 ずっと同じように、俺を頭にこびりつかせたままでいてください。そんなわがままを言われてしまえば、鳩を使う気なんて雲散霧消する。いや、最初から耐えようとは思っていたけれど。
 入るぜよ、という元気な声に身体を離して返事をすると、やってきたのは私の初期刀の姿だった。データ取りまとめのフォーマットがどうのという陸奥守の言葉に、長谷部は合点がいったように近侍用のパソコンをスリープ状態から起動させにかかっている。
「え、ごめん何かお願いしてたっけ、私」
「あー、違うき。ちっくと、近侍の仕事の引き継ぎにの。はー、さすが長谷部じゃ。わしがやっちょったころより楽そうぜよ」
「二年以上前と同じだったらむしろ問題だろう、当然だ。簡単でよければマニュアルも作っておくか?」
 思っていたよりも早まったから。そう言って当たり前のようにメモを取る陸奥守と、当たり前のように入力箇所の説明にかかる長谷部。軽く置いてきぼりにされた私は、慌てて二人にストップをかけた。
「えっとごめん、ちょっと待って待って」
 そもそも、代役だってまだ決めたわけじゃ。そう言おうとした私に、私の初期刀はニヤリと笑ってこう言った。
「わしじゃろ?」
「……はい」
 近侍の代役は、絶対に陸奥守。誰にも言ってはいなかったが、最初から決めていたことだ。ふふんと得意顔を浮かべて、まかせちょけと彼はその胸をどんと叩いた。
「長谷部の修行は、主の修行じゃ。こんお役目、わしゃ誰にも譲る気はないぜよ」
 こちらの覚悟があやふやなことは、陸奥守だって分かっている。だったら外野が先に外堀を埋めて、否が応でも決心を固めさせるしかないという判断は、強引ではあるが的確だ。
 出会ってこのかた、やっぱり彼には敵わない。私も頑張らないとと、深呼吸をして腹をくくった……はずだったのだ、このときは。

「まったく、往生際の悪い」
 行儀悪く足を組んで、剣呑な顔で肘をついて。我が本丸の打刀では三番目に顕現した篭の鳥は、呆れ果てたとわざとらしいため息を吐き出した。
「良かったじゃないですか、腹くくる時間が余分にできたんだから。むしろ感謝してほしいくらいですよ、あれよりも僕がここ来るの先で」
「……返す言葉もございません」
 目の前のテーブルには、ついさっき政府から発表が来たシルエット画像。硬直した私の表情筋を、やってきた彼にさんざん笑われて、青筋立てた長谷部をキャットファイト寸前で陸奥守が部屋から引っ張り出して。情けない顔をする私を一瞥し、目の前のソファにどっかりと座った宗三は、ああ馬鹿臭いと鼻を鳴らしていた。
「……決めてたはずだったのになぁ、覚悟なんて」
 ついこの間、いや、そのずっと前……いつかこの日が来ることを知ってから、何度も決意し直しては揺り戻されて。その振れ幅は、ここに来て一段と激しくなっている。
「まあ、ひいき目に引っ張られずに、僕が先って決めごとを違えないのは立派だと思いますよ。単なる糞真面目とも言っちゃあ、それまでですけど」
 今までだって、不安と共に送り出した子たちはいたはずなのに、そのときとはレベルが違う。ひいき目という直球な言葉に図星を突かれ、ずんと暗くなる私に宗三の視線が少し柔らかくなった。
「何度も言ってますが、別にいいんですよこっちは。ひいき目だって自覚は持っていればね、そう罪悪感にかられなくったって……気づいてるでしょう? 今回の件で、さっそく賭けなんておっぱじめてるんですよ、僕ら。お遊びにしてる時点で、こちらも同類ですから」
「あー、うん。まあね」
 鳩が一羽飛ぶか、もう一羽飛ぶか、それとも一羽も飛ばないか。どれが本命でどれが大穴だとか、詳しいことは一切耳に入らないし、そもそも首謀者も分からない――いや、見当はついているけれど。まあ、あの子だったら悪乗りもほどほどでストップできるだろうと信頼して、こちらも黙認する、それだけだ。
「ホントに楽しみなもんですよ、その日が。僕が修行を終えて戻るまで、こちらの時間で四日間。それまでに鳩が飛んできたら、思う存分指さして笑ってやりますから。それどころか、いい酒の肴になるでしょうね、一生物の」
 猫背気味の背中は、今みたいにふんぞり返るとぐうっと伸びて、見た目にそぐわない高身長っぷりを際立たせる。あくどい笑みをにやりと浮かべ、篭を蹴破るほどに強くなったうちの美しい鳥は腕を組んだ。
「それが嫌なら、せいぜい僕に大損でもさせて、地団駄のひとつでも踏ませてご覧なさい」
 いや、ちゃっかり賭けてるじゃない、鳩使うほうに。それでも、彼の皮肉のスパイスたっぷりな言葉は、ここぞというときはいつだって、私の背を乱暴に押してくれるのだ。
「……いつもすまないね」
「それは言わない約束でしょう。それより、あっちのフォローお願いしますよ。どうせ今頃いじけ虫になってるでしょうから」
 江戸城も、もう一周するんでしょうが。そう言って彼は、卓上のカレンダーに大きく丸をひとつ書き加えた。

初出:2017-10 Pixiv