先のエントリーにあるようにゲゲ謎を見た。いわずもがな、目玉おやじの声帯目当てである。
まあ、初っぱな一発目の感想は以下のマストドンスクショを見てもらうこととして。

マストドン、12/15のトゥート 「な〜〜〜〜〜にが因習村じゃ糞糞家父長制帝国主義の亡霊国家圧縮ヴィレッジと呼べ」

なにかこう、私たちのこのクソみたいな現状は一体全体どこから来やがったのか?という話だったなと。

最初に全力でやってみたら上手くいっちゃって、そのやり方をナントカの一つ覚えで踏襲していたらガタがきて気力も貯金も尽きて全滅しかけての繰り返しだったんだな、とか。
「自分たちはまだ負けていない、これは戦争だ、今度こそ雪辱を果たすんだ」という意識であの時代のサラリーマンたちが仕事をしていたっていうのは(バッカじゃねぇのという方向で)有名な話ですが。企業墓ってのはようするにミニサイズの靖国(「権力者が造った、死んだらたどり着ける夢の場所に見せかけた空っぽのハリボテ」なところも含めて)なんだな、とか。

あの村に存在した地獄は古来この国のどこにでも存在していたもので、現代でもしぶとく居座り続けて私たちを搾取し苦しめ続けているものなんだ、というところが一貫しているのが、こう、戦後生まれ(金と希望とガッツのあるノスタルジーのある場所として描きがち)の描く“戦後の昭和”にはすごく珍しいなと思った。水木作品を表面だけじゃなくしっかり読み込んだ人が創った映画だなと。
まあ、そういうところをどこまで読み取って受け止められるかは個人個人が普段触れて消費しているもので変わってくるんでしょうけども。

現在23世紀の話を書いている最中だが、「日本史の授業中、私ら真珠湾攻撃どころか日清日露の辺りから“破滅への序章”みたいな風に受け取っているけども、未来の教科書では戦後の経済成長がそういう扱いになるんだろうか」なんてことを考えながら書いている。
映画でもあるでしょ?怪物やエイリアンを倒して、犠牲は出たけど平和が訪れた!ばんざい!ってやってるラストシーンの片隅で、何かがうごめいて「……と、思うじゃん?」みたいに終わるやつ。
明治~現代の流れ、全てが繋がっているひとつの流れとして学ぶことになるんじゃないかと思われるけども、せめて令和までで打ち止めになっていたらなぁ、とも思うのです。

とりあえず、みんなこのファッキンヘルジャパンで糞がと叫びながら投票箱にユポ紙を突っ込みつつ、頑張って生き延びような。
そして余裕ができたらちゃんと議論して考えて、この流れいい加減断ち切ろうな。
そんなことを考えた映画でした。とりあえずもう一回は見たいしトットちゃんも見たいんだ上映期間延びててくれ地元映画館。