さて、明日は久々のイベントです。
新刊も無事搬入されるようです、印刷所から連絡も来ていました。
今回の新刊ですが、正直めっちゃ不安があります。いや自分なりに面白いもの書けたとは思えるんですがね、そこはいつも通り。
今作、主人公が23世紀で新しく生活を始めたことで、何人か同僚となるオリジナル審神者も出てきます。そのうちの数人(人によっちゃ全員かも)は、たいていの現代の“審神者”コミュニティにとっては「そもそもそういう人間が審神者になること自体が想像の範疇外」だろうな〜〜〜と思いつつ書きました。
まあそのバックグラウンドについては置いといて、だ。その中に、ノンバイナリーの審神者が一人います。
そういうキャラクターを出した理由ですが、前述のバックグラウンドと同じく、“そういう存在がいないことになってるのが前提な世界”自体に私が不自然さを感じるからです。
とはいえ、今でも「いやこれ私が書いて良かったのか?」というモヤモヤは消えません。
Fセク自認してはいますが、根本的には私はシスヘテロ女性で、女性という属性だけ見れば社会的にはマイノリティだけれど、性自認については圧倒的マジョリティの特権持ち。これは誰が何と言おうと駄々をこねようとヘイトを叫ぼうと、動かしようのない事実です。そこは絶対に勘違いしちゃいけない。
だからこそ、多少本を読んで勉強しようとしてはいるけども、「勉強した気になって安心したいだけでは?」って自問は毎回ついて回る。
正直、そんなキャラクター出すなとかほざく側のことは気にしてないです。鼻で笑ってヘイトで通報して終わらせます。
「マジョリティ側にいる私がこれを当事者がいるかもしれない側にドヤ顔で出すのは違くない??」というモヤモヤです。
そりゃまあね、勉強するにも私たち誰しも、労働とかいう糞野郎に時間も気力も体力も生活を人質に取られて強制的にゴリゴリと削られすぎでして。
でも、やっぱりもうちょっとどうにかできなかったのか?と書いたことを思い出してはウンウン唸るというわけです、結局は。
でもね、そうやって入稿後もウジウジ悩んでいたんですけどもね、気がついちゃったんですよ。
お前ゲイカップルについてはそんな葛藤なくお気楽に書いては出してただろうがよ、って。
『愛がなくても〜』の寿司屋のYなが先生じゃないですが、今更賢しらぶっても十代のころから築き上げてる業がそこにあるんですよね、ええ。
そうしたあれこれ、なかったことにも軽くすることもできない以上は、ヒンヒン泣きながら直視して次に活かすしかないんだなと思います。
そんなわけで、今作はたぶんもう数年も経てば「書き直させて……書き直させてくれ……」って頭を抱えて呻いていると思います。
それでも、今の社会に感じる「嫌だなぁ〜〜〜」ってポイントを目に付く限りでちっくりちっくり潰しながら書きました。
読んでくれたあなたにとって、少しでも「あ〜〜〜これがこんなだったらいいなぁ〜〜〜〜っっ」って思うポイントがあれば幸いです。
以上、世界が最悪すぎて「一回太刀打ちできないパワー目の当たりにして脳みそリセットしたい」と太平洋を見に行った帰りの電車から、六花がお送りしました。
地元戻ったら銭湯行って酒かっくらって早寝します!イベントでお会いしましょう!!